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【星野 源 コメント】
見ると体を動かしたくてムズムズするようなMVにしたくて、
昔から大好きなダンサーの井手茂太さんに踊っていただきました。
今回はとある大切な友人の紹介で(笑)、
監督は山口保幸さんにお願いしました。素晴らしい現場でした。
初回盤に付いてくるDVDにメイキングも入ってますよ。
家の中、部屋の中、車の中、頭の中、画面の中、夢の中、
その他なにかしらの中から、
出ていけそうな気持ちになってもらえたら幸いです。
【日時】 | 2012年8月9日(木)20:00スタート (集合:19:30) |
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【会場】 | タワーレコード渋谷店B1「STAGE ONE」 |
【参加方法】 | ご予約者優先で、タワーレコード渋谷店または新宿店にて、7月 4日(水)発売『夢の外ヘ』をお買い上げの方に先着で「イベント応募専用ハガキ」を差し上げます。 ご応募頂いた方の中から、抽選でイベントにご招待します。 |
【応募〆切り】 | 2012年7月17日(火) 必着 |
【お問い合わせ】 タワーレコード渋谷店 03-3496-3661
【日時】 | 2012年9月中 |
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【会場】 | 都内某所 |
【参加方法】 | 全国TSUTAYAにて、7月 4日(水)発売『夢の外ヘ』をお買い上げの方に先着で「イベント応募専用ハガキ」を差し上げます。 ご応募頂いた方の中から、抽選でイベントにご招待します。日時・会場は当選者様にご案内します。 |
【応募〆切り】 | 2012年8月20日(月)必着 |
・タワーレコード渋谷店
・タワーレコード梅田大阪マルビル店
・タワーレコード梅田NU茶屋町店
・ヴィレッジヴァンガード下北沢店 にて展示
・タワーレコード梅田大阪マルビル店
・タワーレコード梅田NU茶屋町店 にて展示
寺坂「今日は僕、何を話せばいいんですか? めちゃくちゃ緊張して、思わず早く着きすぎて、ビルの周りを2周ぐらい歩いちゃいましたよ(笑)」
星野「ははは。『夢の外へ』という曲は、ある意味、寺坂さんがキーパーソンみたいなところがあるので、今回、改めてじっくりお話を聞いてみたいなと思ったんです」
寺坂「いやいや、キーパーソンではないでしょう(笑)」
──でも、寺坂さんの一言にインスパイアされる形で「夢の外へ」が生まれたわけですよね。
星野「そうなんです。いつも寺坂さんには、僕がナビゲーターをやらせてもらっている【RADIPEDIA】というラジオ番組で作家としてお世話になっていて、その流れで清水ミチコさんをゲストに迎えた僕のライヴで司会をやってもらったんですけど、その時、寺坂さんが“童貞は30過ぎると魔法使いになれる”って言ってて。その言葉がずっと頭に残ってたんですよね」
寺坂「要するに夢の中で好きな女の人を抱けるっていう(笑)。僕は由紀さおりさんが大好きなんですけど、夢の中で由紀さんと手を繋いだり、デートしたりできるんです。それって魔法だなと思っていて。でも、自分では夢だと分かってるんですよ。だから覚める前に、いかにして自由に好きな事をやるかっていう」
星野「曲作りの時期にその話を聞いて、すごく素敵だなと思いつつ、わりと切実に、寺坂さんの夢の中にいる由紀さんを外に出してあげたいなと思っちゃったんです。ちょうど“外に出る”っていう内容の曲を書きたいなと思っていたんで、これで行こうと」
寺坂「そういえば、星野さんがメールを送ってきてくれたことがありましたよね。“今、隣の楽屋に由紀さおりさんがいます”って」
星野「そしたら寺坂さんから“昨日も夢の中で由紀さんとデートしました”って返信がきて(笑)」
寺坂「確かそれがきっかけで曲の方向性が見えたって、おっしゃってた気がします。僕は意味が分かんなくて頭の中にハテナがバーッと並んだんですけど(笑)」
星野「あったあった(笑)。あと曲の方向性でいうと、『夢で逢えたら』も大きかったですね。僕はあの曲が昔から大好きなんですけど、たしかに夢で好きな人に逢えたら素敵だとは思いつつ、その一方で夢でしか逢えなかったものに現実で逢えらもっといいんじゃないかとずっと思っていて。そこから“夢や虚構の中から外に出てくる、かつ大事なものを現実に連れてくる”みたいなテーマを膨らませていったんです。そのきっかけを与えてくれたのが僕のラジオを構成してくれてる寺坂さんだということを雑誌のインタビューで最近よく話していて。その記事を読んで“寺坂さんって、どんな人なんだろう?”って思った人が、この対談を読んで、いろいろ感じてくれたらいいなと思って」
寺坂「ああ。なるほど。そういうことだったんですね」
星野「早速ですけど、寺坂さんってどんな人ですか?」
寺坂「えっ!? いやぁ……もう、クズです」
星野「いやいや(笑)。肩書きは放送作家でいいんですか?」
寺坂「そうですね」
星野「作家としてのデビュー作は何だったんですか?」
寺坂「『やりすぎコージー』じゃないですかね。放送作家になる前にリサーチっていう仕事があるんです。調べごとをする仕事なんですけど」
星野「作家見習い的な仕事ですか?」
寺坂「はい。初めて放送作家として名前がクレジットに入ったのは『やりすぎコージー』じゃないですかね。それが24歳くらいのときです」
星野「そもそも、どうして作家になろうと思ったんですか?」
寺坂「暗い話になりますけど。中学2年生の時に引き篭もりになりまして。簡単に説明すると、同級生の同性愛者に無理矢理いたずらされたんです」
星野「うん…辛いですね」
寺坂「まあ、それがきっかけで学校行けなくなって昼夜逆転するんです。それで深夜ラジオばっか聴くようになって。学校に行ってなくて後ろめたいから街にも出なくなるじゃないですか。だから当時はラジオだけが友達みたいな感じで。それでラジオ番組にハガキを出すようになったんです」
星野「いわゆるハガキ職人ですね」
寺坂「そうです。中3の2月に『ナインティナインのオールナイトニッポン』で初めてハガキが読まれて。しかも最初に書いたネタがいきなり読まれたんですよ」
星野「一発目で?」
寺坂「はい。しかもトリで読まれたんです」
星野「それは凄い!」
寺坂「岡村さんも矢部さんも笑って次に行けない感じで。ちなみに当時のペンネームは古畑任八だったんですけど(笑)」
星野「あはははは」
寺坂「古畑任三郎と金八のミックスで」
星野「ハガキが読まれたときはどんな気分でした?」
寺坂「“宮崎市の…”って聞こえた瞬間、“まさか!”と思って、“古畑”って呼ばれた瞬間、ラジオの音を消して、廊下を走って“お母さん、ハガキが読まれた!”って親を起こしました(笑)。ワーってなって、もう聞けないんです。自分のハガキを読まれるのが恥ずかしくて。で、ちょっと落ち着いてから録音しておいたテープを聞いたら、たしかに読まれてて。友達が一人もいないのに僕のハガキをあのナインティナインが読んでいると思って。しかもウケてるってことは、全国34局ネットを聞いてる人たちが笑ってるかもしれないぞと。そう考えたらゾクゾクしてきて」
星野「その感じ分かります。僕もラジオにハガキを投稿してたんで。番組だとコサキン(『コサキンDEワァオ!』)とレディクラ(『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』)が大好きで。最初にハガキが読まれたのはレディクラの、岸谷さんの手帳の後ろの連絡先欄に誰の名前が書いてあるかっていう大喜利的なコーナーで。 送ったら読まれたんです。それを聞いたのが池袋駅の西武線ホームのレッドアロー号の入り口前だったんです」
寺坂「ああ、レッドアロー号(笑)」
星野「レッドアロー号で毎日、録音した番組を聞いていて。当時、400円で特急券を買って、学校に通ってたんですよね。お小遣いが切符代で全部消えるんですけど(笑)」
寺坂「悲しい話ですよねぇ」
星野「そうそう。お腹弱いから、うんこ漏らさないために、トイレのあるレッドアロー号の席を買って」
寺坂「ホント泣けますよね、この話」
星野「で、待ってたんです。レッドアロー号の改札が開くのを。そしたら突然、僕のラジオ・ネームが呼ばれて。ちなみに、その時のラジオ・ネームはジョン・レノンだったんですけど(笑)」
寺坂「うわー(笑)」
星野「なんのヒネリもなくてすごい恥ずかしい(笑)。で、“埼玉県川口市ジョン・レノン”って呼ばれて、膝から崩れ落ちて。そうそう、それも岸谷さんが笑ってしばらく喋れなくなったんですよ。それが嬉しくて嬉しくて。当時は携帯もないし、誰にも喜びを伝えられなくて。あの爆発的な喜びは一生忘れないと思います」
寺坂「絶対に忘れられないですよね」
星野「だから今でもラジオに思い入れがあるんだと思うんです。でも今はメールで簡単に投稿できるけど、当時は1回投稿するごとにハガキ代が50円かかってたんですよね。ハガキを買うのも結構大変で。子供でお金も無いですから」
寺坂「そう。しかも当時、僕はハガキの出し方にもこだわってたんですよ。町のポストじゃダメなんです。郵便配達のおっさんが川かなんかに落としてるんじゃないかと。だから町の一番大きな中央郵便局まで行くんです。それで窓口でちゃんとハガキを渡して」
星野「そこまでやりますか(笑)。でも人のせいにしちゃう感じは分かるなあ。ハガキが読まれないのは単に自分のネタが面白くないだけなのに」
寺坂「そうそう(笑)。ちゃんと見届けたかったっていう。嬉しかったのは父親がハガキをたくさんくれたんですよ。この子は何も趣味がないだろうということで。もう束で100枚くらい。書け書けって。話し相手が親しかいないんで。当時は完全な引き篭もりで友達もいないし」
星野「僕は完全に友達がいなかったわけじゃなくて、中高では、一応クラスにも、仲良くしてる人たちはいたんです。チーマーみたいな人たちがいて、漫画が好きな人たちもいて、音楽好きの人たちがいて、僕はそれぞれのグループの間をうろちょろしてたんです。でも、どこのグループにも馴染めなくて。要するにオマケみたいな存在ですよね。むこうもハブにこそしないけど、別にいなくてもいいやみたいな立場の人間だったと思うんです。自分も小学校でうんこ漏らして軽くイジめられて、それから割と自由な中学校に行ったんだけど、そこで発散の仕方を間違えちゃったんですよね。いろんな人をくすぐったりして」
──くすぐる?
星野「はい。コチョコチョって。そしたら、“やめろよ! うぜーよ!”って言われて。当たり前ですよね(笑)。それで人と関わるのが怖くなっちゃって。単純にコミュニケーションが下手だったんです。そんな中、ずっとラジオに助けてもらって。だから自分のハガキがラジオで読まれた瞬間の喜びは本当によく分かりますよ」
寺坂「なんか……笑い声が聞こえてくるんですよね。僕は枕元にラジカセを置いてたから、自分のハガキが読まれた時は、スピーカーを通して誰かの笑い声が聞こえてくるような妄想に浸ってました。全く見ず知らずの人が笑ってくれてるんじゃないかという」
星野「僕は深夜にラジオを聞いてるときは、なんと言うか、夜の街を自分が飛んでる妄想をしてました(笑)。電波になって夜の街を飛んでるような。今みたいにネットも携帯もなかったから、当時は電波の純度が今よりも高かったような気がするんです。ラジオを聞くだけで遠くに行ったような気持ちになってたな」
寺坂「本当にあの頃は、ラジオだけが救いだったんですよね」
星野「ホントそうですね。でも、そこからどうしてパーソナリティじゃなくて、作家になったんですか?」
寺坂「相変わらずハガキ職人も続けていて。特に自分の中で大きかったのが文化放送の『Come on FUNKY Lips!』という番組。今田耕司さんと東野幸治さんが水曜日のパーソナリティを勤めていたんですけど、その番組でだんだんレギュラーのハガキ職人みたいな感じになってきて。当時、僕は東野さんが大好きだったんですよ。 “あいつ死んだらええねん”とか、くすぶってる発言を連発してて。と同時に、後ろで笑ってる人たちの笑い声も気になるようになってきて」
星野「ああ、そこで放送作家という存在に気付いたわけですね」
寺坂「はい。調べていったら放送作家という仕事があるということが分かって。それで僕もハガキを選ぶ仕事に就きたいと思ったんです」
星野「なるほど。素敵じゃないですか」
寺坂「で、いろいろ調べたら今田さんと東野さんの後ろで笑っていたのが、長谷川朝二さん、妹尾匡夫さんっていう放送作家さんだということが分かって」
星野「せのちんさん?」
寺坂「そうです。TBSラジオでおなじみの。で、どうしたらいいんだろうって思ったら、<オフィスまあ>っていう事務所があると。そこに入ったらいいのかなと思って弟子入りしようと思ったんです。でも勇気がなくて。それでいろいろ調べてたら専門学校があったんですよ。東放学園っていう」
星野「それは放送系の?」
寺坂「放送系のディレクターを目指す人の学校で、J-WAVEのディレクターさんとか、テレビのADさんとか多いんですよ。RADIPEDIAのポーター・メガネちゃん(長沼けい子)もそうです」
星野「あ、そこで出会ったんだ」
寺坂「はい。で、上京して専門学校に通うようになって、そこから友達がまた一人もいないっていう状況があるんですけど。まあそこは端折って(笑)、テレビ番組の制作会社に入るんですよ。そこで放送作家になりたいという気持ちを引きずりつつ、渋々ADをやってたら、1年くらい経った時に名古屋の東海テレビの番組に行けって言われて。それが東野さんの番組で、作家さんが長谷川さんだったんですよ」
星野「おおおおお」
寺坂「あまりの嬉しさに“東野さんだ! 長谷川さんだ!”と思って。でも、あえて自分の身分を明かさずに、ずっと仕事をしてたんです。でもディレクターさんとは普通に喋っていて、何の気なしに“昔、東野さんの番組にハガキを書いてました”みたいなことを言ってたんです。そしたら、ある日、収録終わりでディレクターさんに呼ばれて。そこに東野さんがいたんですよ」
星野「憧れの人が」
寺坂「で、ディレクターさんが“寺坂は昔、東野さんの番組にハガキを送っていたらしいですよ”って言ったら “ペンネーム何?”って聞かれて。それで“居酒屋いかしげです!”って言ったら、“あぁ覚えてるよ。頑張って”って言ってエレベーターで去っていったんです。もうスタジオの影で大泣きして」
星野「うわあ、報われた瞬間ですね。『やりすぎコージー』の現場で再会したとき、東野さんはその時のことを覚えていたんですか?」
寺坂「いや、覚えてなかったですね」
星野「でも、その後また話す機会が」
寺坂「あったんですよ。『やりすぎコージー』の新年会で。お世話になっていた遠藤敬さんという作家さんが“あそこにいる寺坂って奴は紅白歌合戦のマニアなんです”って僕のことを紹介してくれて。そこで、紅白の曲紹介を今田さん、東野さんの前でやったんですよ」
星野「ちなみに誰の紹介をやったんですか?」
寺坂「パニックになって覚えてないんですけど、とにかくバーっといったんですよ(笑)。そしたら、今田さんが“こいつで一本やろうや”って言ってくれて」
星野「それがあの回(2006年4月8日放送<イマヒガチルドレン“寺坂”という男 >)だったんですね」
寺坂「そうなんです。今田さんの鶴の一声で決まって。大好きな紅白歌合戦やデパートの知識と、同性愛者に襲われたという生い立ちを喋るだけの回だったんですけど」
星野 「あれすげぇ面白かったですよ」
寺坂「それまで紅白やデパートが好きなことは心の内に秘めてたんです。話したところで誰も分かってくれないし。でも今田さんと東野さんが面白がってくれて」
星野「一番憧れてた人が面白がってくれて。最高に幸せですよね」
寺坂「人生で味わったことのない、すごい緊張感でしたけど」
星野「でも、放送では堂々としてるように見えましたけどね。“無”って感じがあって。緊張しすぎて“無”になってたんですかね(笑)」
寺坂「緊張とですね、自分が半分死んでいた中高時代の垢みたいなものが取れていく感じはありました」
星野「あぁ」
寺坂「自分が好きなことを堂々と喋っている場所があるということに感動して。だって好きな人たちに向けて、自分が好きなものを堂々と喋ってるわけですから。こんなこと、もう金輪際ないだろうと思いました」
星野「寺坂さんがデパートや紅白を好きなのって、誰かに褒めてもらおうとか、そういうことじゃないじゃないですか。そうやって内側に向かっていたものが、パキって表に向く瞬間が、あの映像の中には入ってるんですよね。しかもそれプラス、過去のトラウマまで話しはじめるっていう。あの放送は本当に衝撃的でした」
寺坂「襲われた話とか、普通は絶対にNGだと思うんです。それまで一切誰にも言ってなかったし、親にも言ってなかったぐらいで。そもそも、学校に行けなくなったのもそれが原因だったんですけど……。でも、今田さんと東野さんだったら言ってもいいやって思えたんですよね」
星野「ある意味、10代の頃の一番の話し相手ですもんね」
寺坂「お二人の番組にハガキを書くことで悔しさとかやり場のない気持を晴らしていた部分があったんで。その人たちに向けて喋るっていうことが一番いいような気がしたんです」
星野「寺坂さんと初めて話した時とか、あと箱根で温泉に入って話した時も思ったんですけど、とにかく、こう……大変じゃないですか。襲われたことがきっかけで、友達がずっといなくて、本気で死のうと思ったこともいっぱいあったみたいだし。だけど自分が好きなものを誰にも合わせずに一人で追求してきたら、その面白さに誰かが気付いて、それが連鎖して広まって、今に繋がってるっていう。それって純粋に凄いことだと思うんですよ」
寺坂「ホント連鎖って感じなんですよね。いつも誰かが繋いでくれて」
星野「今ではNHKからオファーされて紅白関連の番組に出演したり、デパートの本を出したり。すごくカッコいいなと思うんです」
寺坂「ありがとうございます(笑)」
星野「自分の中身を世の中に表現するには、何かしら妥協しなきゃいけないんじゃないかとか、周りに合わせなきゃいけないんじゃないかとか、逆にみんなが好きだっていうから自分も好きだったけど嫌いって言っとこうとか、誰しもそういうことを考えちゃうと思うんです。でも、僕は絶対にそうしなくていい方法があるんじゃないかと思っていて。寺坂さんは自分の中にある好きなものを持ったまま、外に出てる人だと思うんです。いわゆる黒歴史みたいなものも切り捨てずに。そういえば以前、『とにかく金がないTV』に出たときも、“人が嫌いです”って言ってたじゃないですか」
寺坂「はい」
星野「そこもいいなと思ったんですよ」
寺坂「人は大嫌いですね。いまだに嫌いです」
星野「ね。でも、繋がってる人はすごく大事にするじゃないですか」
寺坂「あぁ、そうですね」
星野「どっちもちゃんと持ってる人なんですよね。嫌いだけど好きな部分もある、みたいな。どちらにも噓がない。それをちゃんと持ってるのが素敵だし、だからこそ信用できるんですよね」
寺坂「僕もミーハー的な意見で言うと、星野さんには自分と似た“暗さ”みたいなものを感じていたんですよ。ちょっとおこがましいんですけど。特に『変わらないまま』っていう曲を聴いたときに、それを強く感じて。あの歌で歌われているような気持ちを表現してくれた人って、今まで日本にいなかったと思うんですよ」
星野「ホントですか(笑)」
寺坂「いやいや、本当の話ですよ(笑)。僕みたいな悩みを持ってた人たちが、あの曲を聴くことで本当に救われたと思うんです。“オレのこのくすぶってる気持ちを分かってくれてる!”って。そういう青春時代を過ごした人が、大人になって活躍してると思うと救われるじゃないですか。僕は10代の頃、東野さんにそれを感じていたから」
星野「でも、そうなんですよね。僕が活躍してるかどうかはともかく、自分の曲を聴いてくれる人にそういうふうに思ってもらえてるとしたら、すっげえ嬉しいです」
寺坂「僕は本当に『変わらないまま』が大好きなんです。くすぶってた青春時代も肯定して前に進んでいく感じというか」
星野「ある時期から、“くすぶってる自慢”みたいなものが嫌になっちゃって。それって馴れ合いじゃないですか。“お前もくすぶってたの?”みたいな。そういうのダサいなと思い始めて。だったらそれをカッコいいとする歌を作ろうと。“友達いないってカッコよくない? 一匹狼だぜ?”みたいな」
寺坂「そうですよね」
星野「全く友達がいなくて、ラジオくらいしか自分を癒してくれたり笑わせてくれるものがないんだけど、一人で下校する後ろ姿に木枯らしがファーっみたいな(笑)。そういうハードボイルドな感じを曲にしたいなと思って。実際くすぶってるんですけどね。当時の気持ちとしては。でもそれを……なんて言えばいいのかな」
寺坂「いや分かる……これは分かるなぁ。くすぶった青春時代を送っていたと思ってる人もあの歌を聴けば、いい人生経験だったなって感じると思いますけどね。まあ、みんなが同じような経験をしてるのか分からないですけど」
星野「してない人の方が多いですよねきっと(笑)」
寺坂「(笑)。けど共感してる人は絶対に多いはずですよ」
星野「そうだといいんですけどね。だから『夢の外へ』にしても、“頑張れ”みたいな気持ちはもちろんあって。そこまでハッキリ言うと恥ずかしいから言わないだけで(笑)。そういう人たちを勝手に応援したいみたいなところは自分の中にあるんですよね」
寺坂「『夢の外へ』でいえば、<僕は真ん中をゆく>って歌詞がいいですよね。すごく星野さんっぽいなと思いました」
星野「<真ん中をゆく>ってフレーズは実はずっと前から用意してたんですよ。いつか使ってやろうと思って。それが今回の曲のテーマにガッとハマって。夢や虚構の中にあるものも、現実にあるものも、どっちも欲しい。それこそ役者と音楽どっちもやりたいみたいな。それがいつの間にか自分の中で普遍的なテーマになってるんですよ」
1980年宮崎県生まれ。放送作家。
月曜日に星野源がナビゲーターを勤める
J-WAVE「RADIPEDIA」にて、
情報の運び屋「ポーター」を担当。
家から徒歩圏内にデパートが何軒も乱立する環境で
幼少期を過ごし魅力に憑りつかれた為に
日本全国のデパートを行脚した「胸騒ぎのデパート」(東京書籍)を刊行。
紅白歌合戦、黒柳徹子研究などの趣味を持つ。